キム.・ハワン「今日も言い訳しながら生きてます」の感想 [読書メモ]
キム・ハワンの続編を読んでみる。
最近、ネットで書評を読んだのは、おそらくこちらの本だったのだろう。
こちらは拾い読み。
パラパラと。
今回は、もっとドメスティックな話が多そうな印象だ。
自分の生まれ育ちとか、そういった話も多く、前回からもっと掘り下げた感じなのだろうが、
ちょっと言い訳がましそうな感じ。まさにタイトルがぴったりだ。
より個人的なコラム、という色が濃くなっている感じで、彼に興味があれば、とか、もう少し暇だったら読んでもいかなって感じだけど、今はじっくり読む気がしない感じ。
私が拾い読みしてへえ、っと思ったのは、キム・ドンシクという韓国の新進気鋭作家の話。
灰色人間、場外人間、などのタイトルの小説を出してるみたいだけど、どうやら日本語には翻訳されてないのかな。
インターネットの怪談小話みたいなサイトで人気に火がついた作家で、本なんて10冊くらいしか読んだことないという、中卒で工場で働いていた人らしいということだから、型にはまってないらしい。
面白そうだ。読んでみたい、いつか。
あとカートコバーンの言葉としてこんな言葉が紹介されていた。
「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれるほうがいい。」
私は17歳から19歳くらいの病んでた頃、カートコバーンに依存しすぎていたので、脱しなければと意識的に離れる努力をしていたくらいなので、それ以降、意識しないように努めているので、すっかり忘れてたけどそうだっけ?(それでも、たまにどこかで偶然ニルヴァーナがかかると、初恋の人を町で見かけてしまったレベルで胸がざわざわしちゃんだけど。)
それで改めて、そりゃあ、若い私は好きになるよな、と思ったし、本当にそのとおりですね、と原点回帰するような感じはした。
あと、ちょっとだけ面白いなと思ったのは、20代から30代女性から(誰かに)寄せられる人生相談の内容が
ほとんど全部同じで、ほとんどが、「愛してるけど金がない彼氏と、新しく出会った興味がないけど金持ちの男、
どちらを選ぶべきですか?」だという話。
全部同じって乱暴!だけど、まあ確かに、そういう相談は多そうだから、ちょっと笑える。
で、その答えが、「そんなのはあなたがどういう人間かによる。金のない彼氏と幸せになれる人もいるし、愛してない新しい男と幸せになれる人もいる。私はどういう人間ですか?ってそんなこと聞かれても知るか」というもので、それは、聞いたことがない回答でなるほどね!と思った。
人によりますっていうのは確かだし、そういう回答は見たことある気がするし、お前次第でどうにでもなる的な回答も見たことがあったかもしれない。
だけど、どうにでもなるか、どうにかする気がある人間か、その覚悟があって、努力ができる人間か、
そういうのは、結局今の自分の人間性とか嗜好とか、相手に文章に言い表せない以上のどういうものを感じているのか、結局は現在の、自分しか知らないところで決まる、というのは新しい。
結局、自分が、どういう人間なのか、どういう人間として生きていきたいのか、というのは、自分しかわからないし、自分で決めていいことなんだよなあ。
というのは、なんか、ちょっといいなと思った。
キム.・ハワン「あやうく一生懸命生きるところだった」感想。 [読書メモ]
ツタヤカフェで拾い読みをしたことはあったのだが、今回、どこかのネットニュースで書評を読んで、今の私に必要な本だわ!と猛烈に読みたくなってまたツタヤにやってきて精読した。
たしかにその通りで、飽きることなく最後まで精読した。
だがまあ、ものすごく新しい観点があるわけじゃない。
いろんな自己啓発書なり、エッセイなりで、読んだことがあるような内容ばかりである。
ざっと、要約すると以下のような感じである。
結果じゃないよ、過程を楽しもう。
楽しむ人には誰も勝てない。
っていうか、勝つために生きようとするだけで、楽しくないから、勝とうと思う必要もない。
結果のために耐える人生じゃなくて、過程そのものを楽しむ人生がつよい。
万人受けしようと努めたところで、成果なし。
それより、自分の好きなことをとことん追求した先に、個性が際立ち、思わぬ賛同があるのでは。
よくわからない未来のためではなく、現在の自由のために働く。
自分が幸せな理由を探すより、不幸な理由を探して今の時間を費やしているなんてもったいない。
あまり期待せずに生きれば、毎日がラッキーの連続。
やらなかった後悔よりやった後悔。下手こいてこう。
試しもせずにあきらめないこと。挑戦する権利はある。
思い通りにいかないことは当たり前。努力はむくわれたらラッキーなだけで、いつも報われるわけじゃない。
自分だけのペースと進路を見極めてすすもう。
まあ、ですよねーっていう感じで、別に新しくない。
だけど、それだけじゃない、いい感じがこの本にはある。
ものすごい成功者とかではない、挫折も多かった、まだ人生の途上にいる
ふつうのちょっと不器用な元サラリーマンとして、すべてが自分の経験にひきよせて書いているからか、
上からじゃなくて、嫌みがない提案なのだ。
著者の人柄と文学的才能だろう。
3浪して入ったとはいえ、名門美大出身というだけあって、芸術的センスと知性が感じられる。
この本を書いた人が韓国人の四十路男で、そんなに売れてないと自称するイラストレーターで、
サラリーマンとイラストレーターの二足のわらじで頑張ってきたけど、ある時、なんだこの人生?
一生懸命生きてきたけど、それでこれ?と気づいて、立ち止まる。
脱サラしてボーっと、したいことだけして生きてみることにした、というようなところからの発言なのだけど、
まあびっくりするほど、東京に生きてる私にしっくりくる。
BTSの動画とかを見ていて、ハロウィンの仮装のキャラクターが全部、日本のアニメのキャラクターとかサンリオのキャラクターだったり、彼らの好きな幼少期のアニメも、全部日本のアニメだったりして、なんとなく気づいてたけど、もはや韓国と日本では消費する
コンテンツにかなり国境がなくなっているんだなと改めて感じた。
つまりこの男性が引き合いに出す、文学作品や映画、漫画は、日本のものばっかりと言っても過言ではない。
もちろん、とことどころ、他の国の作品や、韓国の作品も出てくるけど、半分くらいは、日本のものだ。
村上春樹とか、孤独のグルメとかジョゼと虎と魚たち、とか。
そして、そのように同じような文化を吸収してきているせいもあってか、そして経済の程度ももはや似ていることからか、
彼のエッセイの内容や思うことには、全然まったく違和感なく、共感できてしまうんだなあ。
翻訳が優秀だというのもあるけど、それはスゴイことだと思った。
というか、この20年で、むしろ韓国のほうがドギツイ競争社会になったので、日本ではもう20年目、10年前からこの手のマイウェイを進もうぜっていう自己啓発はさかんに行われていたかもしれない反面、韓国では目新しくて、もっと世間に求められている立ち位置だからこそ、ブレイクした
のかもしれないが、別に東京にいる私が読んでも古くなくて、普通に同世代人として、まあそうよねって感じだった。
Netflixで見たいシリーズ。 [映画メモ]
Netflixで見たい話が溜まってきたので、また加入しようと思う。
今は、アマゾンプライムだけ入ってて、Netflixで見れる映画で見たい映画はほとんどアマゾンでも見られるし、アマゾンのほうが安いからアマゾンでいいや、と思ってしばらくアマゾン一本にしてたんだけど、来月からは逆にして、しばらくアマゾンを切って、Netflixにしようかと。
クイーンズ・ギャンビット
シカゴ7裁判
梨泰院クラス
今更になって梨泰院クラスかよだが、半沢直樹も見てない私としては、
半沢直樹か梨泰院クラスかといえば、梨泰院クラスのほうがいいんじゃないかって気がして、見てみたい。
せっかく今わたしの中で韓国ブーム来てるし。
マツコとうさぎと整形。 [読書メモ]
この本は、なぜかアマゾンで発売日が去年になってるけど、中身は古い話である。
15年くらい前の話じゃないか、中村うさぎが整形しだしたのって。
その当時はまだ公開整形する人なんて、珍しくて中村うさぎの振り切りっぷりが、際立ってた。
さてしかし、私は中村うさぎの書くものに興味がある。
それは彼女が世間的イメージとは裏腹にものすごく理性的で知的な人だと知ってしまっているからである。
もちろん欲望と行動の人であり、そっちのほうが奇天烈だから、まあ世間のイメージも間違いじゃないんだけど。
彼女はものすごく身を削って奇天烈な行動を繰り返し、自分が何を求めてそうするのか、その行為によって何を内面的に得たのか、それによって何が変わったのか、を自己欺瞞いっさいなしで、エグく内面をぐりぐり見つめて書き起こそうとする、その姿勢がいいんだなあ。
さてこの整形体験記だけど、「整形が当たり前になり、皆が整形する時代になったら、美貌の価値は下がる。これから顔の価値は下がっていくだろう」と彼女は言っている。
ただむしろお直ししてない顔が珍しく天然もの、レアものとして価値があがるだろう。
まあブレードランナーみたいに美女なセクサロイドが当たり前の世界になったら、生身の肉体ってだけで価値があがるだろうから・・という話をしていて、ブレードランナーってそんな話なのか?と私はタイトル知ってるけど見たことなくて、やっぱり有名な映画は見ておくべきだと思ったけど、それはさておき、さすが中村うさぎその通り、というか、まあ今もうそういう時代になってきてるよなと思った。
まあ彼女の場合はもともと男子にモテる可愛いらしい顔をしていて、それが本人の気に入る顔であったわけではなく、そこに多少のコンプレックス(幼くみられる、かわいらしい女の子であることを期待される、かっこいいファッションが似合わない、など)があるとしても、別に強い外見コンプレックスがあったわけではないだろう。
ただ、体当たり系ライターとして、自己実験的に、整形してみたっていうのが主目的でもある感じだし、
老いを感じてきて女としての価値が揺らいできた、それの改善という目的もある。
というわけで、まあ顔に対して本気で悩み、外見を変えることで人生を変えようとするシンデレラストーリー
的な感じで、整形にかけている若い女子とかにおける整形とはまた話がちがうけど、カジュアルからシリアスまで、ありとあらゆる種類の整形がふつうにあるのが、整形が蔓延して普通になるということなので、これはこれで正統派だろう。
新庄みたいな、改名みたいなノリで顔アップデートする整形も出てきてるしな。
さて、こちらも欺瞞を許さないわよ二大巨頭のマツコとうさぎだけあって、さすがだった。
気分転換に読もうとおもって、まだちらっと拾い読みしただけだけど、お互いの自意識にぐりぐり突っ込んでいって、そうじゃねえよ、とか、やりあっていて、さすが。
たとえばマツコはなぜ女装をするのか、しかもパートタイム女装であって、基本はゲイであり、いわゆる女性になりたい人ではない。それは何なのかについて、うさぎはつっこんでいくが、マツコは自分でもはっきりとは説明できないという。
が、それってとても共感できる私がいる。
なんで?と聞かれてもわからないことは結構あるよね、特にそういうアイデンティティに根差す部分。
だから人は、生まれつき、と説明してみたりするし、実際にそうとしか言いようがないくらいに、はっきりしている場合もある。
でも、女になりたいわけじゃないけどたまの女装で精神のバランスがとれるゲイ、みたいなのって、説明が難しいと思うけど、私もそういう感じだなと思う。
無理してまで男になりたいわけじゃない、女のままでいい、でも女でいることに特別な意義を感じているわけでもなく、固執しているわけでもなくて、本当は性とか意識しない世界で生きられたら一番いいと思う。
でも女の見掛けでいることによって、女として「当たり前」みたいに女の役割を押し付けられているように感じて世界が息苦しくなったり、猛烈な怒りを感じたり、死にたくなったりすることは頻繁にあって、それはどうやら身近な女友達よりも、ずっとずっと頻度が高く強烈なもののようだし、根源的なもののようである。
だから逃げ道がいる。
でも虹色の世界だから、きっと世の中はストレートとそれ以外の何かに明確にわかれているわけじゃなくて、その間のぼんやりしている人もたくさんいる、それが当たり前だと思うから、きっと私のような感じの人も大勢いるんだと思う。
この症状が何のせいなのか、どこからくのか、名前はよくわからないけど、というような。
それこそ、現代は発達障害、ADHDとか、それこそどこまでが正常でどこからが?というような生きづらさや個性が話題になることは多いけど、そんな感じ。
生きづらさが発達障害に起因するのか、性自認に起因するのか、それがミックスされているような人も、取り違えて混同しているような人も世の中いるように思うしなあ。
ちなみにうさぎにも私は近しいものを感じていて、彼女は性自認も性嗜好もストレートの範疇ではあるんだけど、やっぱりどノーマルではないものを感じる。
女性としての性を葛藤なく受け入れて、または自然に受け流して生きられている人ではない。
あ、今日、図書館への返却日じゃないか!
急いで読もう。
LULUPANの動画がいい。KPOPの光と影。 [メディアまわり]
おもえば2020年は、冬眠してたかのように、あっという間に終わったが、しいてタイトルをつけるとすると、韓国に始まり、韓国に終わった一年だったように思う。
というのも、私はコロナ禍が始まる直前、最後の海外渡航は韓国。
といってもその当時はまだ、韓国料理が好きで、韓国ファッションとか韓国美容にも興味あるよ!っていうくらいであり、韓国コンテンツには全然興味なかった。
が、思えば、徐々にきてたよな。
パラサイトはみたいなー、くらいに思ってたはずである。
まあ実際見たのは、結構最近、11月だったんだけど、最後、インディアンの羽をつけた父が刺した時の壮大なカタルシスは忘れがたい。
うわーっと、泣き叫ぶように、吠えるように私は泣いた。少なくともそういう気持ちになった。
一瞬であそこまで、私の気持ちを吐き出させる、その演出はすごいなあと、色々韓国コンテンツ見てみてもいいなという気にさせたのは確かである。
で、年末に来て、おひさしぶりのクリスペプラーHOT100でBTSに出会い、、、まあHOT100をほぼ高校生ぶりに聞く気になったのも、それだけ時間があったからというか退屈してたからともいえて、コロナ禍のせいともいえる。ま、在宅勤務のおかげっていうふうにも思える。
あとまあ日本にいてRADIKOが使えるってのが大きいよね!海外在住だと基本はRADIKO使えないから。
前置きが長くなったが、そんなこんなで、韓国コンテンツのクオリティの高さに気づいたところで、LULUPANという人のこの動画に今日出会った。
クオリティがめちゃ高い。現代美術みたいな示唆に富んだ作品。短編小説みたいかも。
日本語が上手だし、オーストラリア在住?らしいが、韓国人のクリエイターみたいだ。
そんな韓国人クリエイターが発信するこの動画。
原作的なものをアレンジしてこの動画を作成した、フィクションだ、というのはもちろんわかるのだが、韓国人が作成したとなると、リアリティがある。
というか、ものすごいリアリティを持たせている。
手術シーン、化粧シーンの気合の入り方が本気である。
昔の少女漫画みたいに、すごくアレな子が、整形手術で美女に生まれかわるー、、というSF的なざっくりしたものではなくて、ごくごく一般的な普通の容姿の子が、どこをどう変える整形をして、どこをどう強調した化粧をすれば、絶世の美形アイドルになれてしまう、そのすべてが超リアル。
涙袋メイクから、整形手術後の腫れた目までリアル。
肩の脂肪吸引で肩回りスッキリして、でも首にまで赤あざがっつりなのをファンデで隠すとかもリアル。
KPOPスターって、やたら顎が細くとがっていて、唇ぷっくりがお約束だけど、ああいう手術をするのが一般的なのか、という知見も得た。
さらに派手で人工的な髪色というのは、整形で人工的になった顔や、濃いメイク、カラコン、白めに塗り込んだ肌などを人工的に見せない、という意味で重要なんだなと改めて理解した。
さらに髪色が変わることで、一気にスター感が出る。
デビュー前の朴訥とした一重に眼鏡の素朴な女の子は、本当に韓国にものすごくたくさんいそうな顔であり、さらにデビュー後の顔も、もうまんま韓国アイドルにいる感じの顔。
でも本当に泣けちゃうの。
アイドルに憧れる素朴な女の子が、歌とダンスのレッスンと、整形による完璧な容姿を、事務所の教育と援助で手に入れて、いざデビュー!という頃には、もう後戻りできない。
ここまで投資して育てた分、今やめたらペナルティ。でもスターになるなら、わかってるだろ?
そしてマスカラがにじんだ黒い涙。ここもまたリアリティ。
女子のリアルな涙は黒い涙。
この子はデビューできただろう。売れたら幸せになれるかな。
その前に精神がまいるのだろうか。
KPOPを楽しむということは、こういうことでもあるという後ろ暗さが私にはある。
なんというか、いたいけなティーンエイジャーの、アイドルになりたいという可愛い夢の影に、
こういう話は何百も転がっていることは想像できる。
もはやYOUTUBEで、ビフォーアフターを山ほど見ている私たち。
ものすごい落差のあるすっぴんをさらす人、整形をカミングアウトする人にあふれた現代。
完璧な顔の美少女も、化粧をとればただの人。整形前はただの人。スターだって例外じゃない。
顔なんてその程度の問題だということをすでに知っているのに、それでも最大限盛ろうとするタレントを、当たり前に消費する。
BTSのカバーが本家よりも大好きな件。 [BTS]
去年一番感動したかもしれない動画。
色々カッコよくて、好きすぎて、泣きたくなってしまうのだ。
BTSを好きになって、そんな自分に戸惑っていることもたくさんあるけど、よかったことは、BTSが共通言語になって世界中のいろんな人たちとつながれる気がすること。
特にBTSの場合は、アジアだって韓国はもちろん中国も日本も相当数の強力なファンがいるし、さらにアジア圏にとどまらず、ヨーロッパ、北米、南米、そして黒人、白人含め、いろんな人種の人たちから支持されているし、国境を越えてるところがいい。
さてこの動画はあまりに感動したので、もうブログにメモってたとおもったのに、あがってなくて不思議。
どっかに下書きだけして、放置してるのか。
さてこの動画は、LOVE YOURSELFを体現しているかのような動画で本当にステキ。
パリの黒人の女の子たちが、70年代ルックで、キレッキレに踊るんだけど、さすがブラックだけあって女子だけど
ダンスのキレがBTSに負けてない上に、リズム感とか凌駕してる。
そして何より素敵なのが、本当にイキイキしてるところ。
豊満バディに、スキニーボディに、カリーヘアに、、生まれ持った美を誇っているかのような彼女たちの
ナチュラルで自信に満ちたパフォーマンスと笑顔が、かっこよくて素敵で、この動画に出会えたことが、BTSを好きになった意味なんじゃないかと思う位。
ほんと大好き。
これを見て魅了され、黒人女性の魅力、かわいさ、カッコよさ、素敵さを再発見できる人たちはたくさんいると思う。そういうのって、ほんと正の連鎖だよね。
東アジアンならではの魅力、戦い方で、全世界で勝ったことが、私個人的にはすごいBTSの功績だと思ってるんだけど、それをバリバリにダンスな上手な子たちが踊ったり、バリバリに歌が上手な人が歌ったりすることで、その人たちの個性のすばらしさが際立ったり、Dynamiteが曲として本当に完成度高いんだなあと改めて思ったりする。
なんというか、このカッコよさは、あれを思い出す。
ジャッキー・ブラウン!
特に、アフロに緑パンツのRM役の子と、ヒョウ柄のジョングクの子のパンチ効いたルックスが最高!
本家はやっぱりアイドルだから、かわいこぶりっこ感とか、かっこつけてる感とか、わざといちゃついてる感みたいなのがたまに鼻につくことがあるんだけど、この子たちはないよねー!
ひたすら、カラッと明るく爽快にカッコよくてしかも女の子!!
この子たちをポスターにして壁に張りたい・・まではいかないかもだけど、少なくともポストカードにして冷蔵庫に張りたいくらい好き!
2021年新年の抱負。 [生活雑感]
今年に入ってから、抱負くらい考えないとなーと頭の隅で思うことはあるんだけど、ずっと自分と向き合うことから逃げてきた。
10月、11月、12月半ばくらいまでは、まだ計画していた自分がやりたいと思っていることを推進させている側面も生活の中にあったんだけど、ちょっとずつ「やりたくないこと」「こんなはずじゃなかったこと」に生活の主要な時間をつぶされていき、そして何がやりたいのか、何がやりたかったのか、段々見えなくなって、さらに、なりたいものになる、やりたいことを実現させる気力や自信がどんどん失われて行って、視界がふさがれていって、何も見えないし、何もやりたくないし、ただ息苦しい・・という感じになってきていた。
なんでこうなったのか。
もちろん自業自得で、自分で自分の首を絞めるような行動を日々積み重ねた結果だろうし、私にはいつもそういうところがある。
望んでいないものになろうとして頑張ってしまい、どんどん心と生活が乖離していき、一体自分が何者なのか、何のために生きているかわからなくなる。
そうなりがちなのは、私という人間が、理性的であり、安パイ思考であり、だけどその生き方では息苦しくなってしまうタイプの人間だからである。
いや、みんな多少の息苦しさはあると思う。
たとえばよ、社会的に良しとされているし、それが一番生きやすいし有利な生存戦略だしってことで、その型にはまって生きるという場合。
そういう生き方が生来の特質にあっていて、違和感も抱かない、むしろしっくりくる、というタイプの人もいるのだと思うが、しっくりきつつも、イラついたりムカついたりしながら生きてるケースも普通だと思う。
だけど、私はそれを超えて、生きてはいられない、死んだほうがまし、アイデンティティを見失うレベルになる。
まあでも私は人生で何度も何度もこの過ちを踏みまくり、だからこのブログのタイトルも自戒を込めて、
何があっても判断をまちがうんじゃないよ、ということで「マブい車に乗れ」なのである。
それはつまり、どんなに生存戦略として利口に思えなくても、燃費が悪く、バカっぽく、すぐ壊れても、
実用的だけどときめかない車じゃなくて、ときめく車を選ぼうと、そうじゃないと後で気持ちが苦しくなって結局この車じゃない、ってなるのが私だから。。
本音が介在しない、本心では全く心がときめかない方向性に邁進してるからこそ、そんな自分を直視できなかった。
生活のために、金のために、社会的地位のために、魂を売るところだったぜ。
まあ、何か少し視界が開けたから、何かずっと張り詰めて息を殺している段階から、ほっと一息はけるような何かのきっかけがあったから、今私はこういう時間をとる気持ちの余裕を取り戻したんだと思う。
それは社会生活において、すこし自分を認められるような、自分のアイデンティティを取り戻す瞬間があったからかもしれない。
プラスのフィードバックがほぼない日々の中で、私なんてダメだ・・・という気持ちに沈んでいるところ、久しぶりに自分が優れている部分に光が当てられて、すごいすごい!と言ってもらえて、そうだった私はダメなようでいて凄いところもあったんだった、だから生きてこれたんだった、というように、それで少し血の気が戻ったような感じもある。
そうやって少し血の気が戻ったところに、逆に「お前ごときが」みたいな、ちょっとバカにされてる?という言動を二、三聞かされて、ここでくたばってたまるか!見ておれ!と、すこし発奮した部分もある気がする。
で、つくづく思ったんだが、まず見た目に妥協しないことって大事だなと思った。
服装や髪型で自己表現するのは稚拙だ、という考え方は私の中にもあるが、それでも、結局私がそれ以外の部分で自己表現するのが不得意なら、そういったものも動員するべきだと思う。
使えるものは全部使うのだ。
年取れば余計って部分も逆にあるしな。
身づくろいに気合が入ってない人と、入ってる人で、「私はそこらのモブおばさんです」っていう扱いを良しとする人柄なのか、そういう表現にもなるわけで、まあ衣装が鎧って状況は私は好きじゃないけど、鎧でもあり、表現でもある。
SNSで自分がどんな人間か、何ができるか発信するとかは・・もちろん今の時代重要なんだけど、あざとくなったりして、食傷気味になりつつもあり、あまり前向きになれない時期。
だが、とにかく生身の自分じたいだけでも、どういう人間でいたいのか、どういう人間だと思われたいのか、それを表現していくことは、死んでないって意味で、生きているっていう意味で重要だ。
こういうところ、結局のところ、丁寧に生きるということだと思う。
私は別に、足るを知らない人間じゃない。
自己満足できる人間だ。
その自己満足できるものの確度を生活の中でもっとあげていく。
まずはそこだ。
日本の論点2021~22 大前研一 感想 [読書メモ]
こちらも、自分が全く知らない、興味があるトピックのみ拾い読み。
特にfacebookの仮想通貨リブラの件、私は現状をよく知らなかったのだが、リブラが米国国家権力に阻まれて進まないと、中国のデジタル人民元に先を越され、中国が国際決済システムを握り、世界支配ということがおこりかねるというのは、知らなかった。
今後も進捗を注視したい。
あとは、アメリカとイランの報復合戦に、実は北朝鮮が震えて明日は我が身かもとちょっとおとなしくなったとか、北朝鮮はソウルに2000発の核短距離ミサイルの照準を向けている、もしも北朝鮮がソウルに向けて発射したら、一緒に日本もやられる、とか。
もし北朝鮮が逆上しても、アメリカに届くようなミサイルはまだ仕上がってないから、おそらく韓国、日本に向けてぶちこむのでは、と。
先日、英会話でバイデン政権に切り替わったニュースをやってる時に、トランプ政権で、のち話にあがることがあるとしたら何か?というトピックで、先生がトランプはイランと戦争を起こしそうになった、もし戦争になったらそれは核戦争になりかねなかった、それが一番印象深いと言っていて、私はその辺あまり把握してなかったので、そうなん?で、どうやって結局戦争を回避したの?あとで調べよー、、と思ってたのだが、事情がここに完結にまとめられていたので有難かった。
成毛 眞「2040年の未来予測」読書メモ [気になるもの]
先日テレビを見ていて、100リットル(だったかな)の水で100人がシャワーを浴びれるシャワーテントだったかな、と開発した日本人の起業家の発明を見て、驚いた。
あ、あってた、この人だ。
もはや実用化されていて、被災地などで活躍しているらしいが、汚れた水をそのまま回収して、濾過装置で98%の水をクリーンにして再利用できるから可能な技術はすばらしく、本当に世界を変える技術だなと感動した。
すでに世界から商談が来ているらしく、砂漠地帯とか、清潔な生活水が不足している貧困地帯など、いくらでも需要があるだろう。
さて、それはいいとして、この本はそういう感じの、私が全然追い付いていっていない話をちらほらと知ることができた。
といっても興味のあるトピックを拾い読みしただけだけど。
核融合による発電というのが、まさにそんな感じで、これはまだまだ研究中の段階のようだけど、もしも実現できれば、環境フレンドリーな上に、燃料枯渇の恐れもなく、天候にも左右されず、危険度も低く、取り扱いに困る廃棄物も出ず、そして莫大な発電量を生み出せる、夢のエネルギーらしい。
しかもこの技術は、日本が1960年代から研究しており、欧日が中心となって進めており、iter計画といい、2020年からフランスで核融合炉の組み立てが開始されていて、2025年から実験開始予定なんだと。
興味深い。
日進月歩な世の中、2040年頃には実用のめどが立っている可能性は十分にある。
あとは、肉は、そのうち幹細胞を人工的に増殖させた培養肉を食べることになる可能性があると。
培養肉ならと殺する必要もないし、なんといっても世界的にみた人口増加による将来の食糧問題の解決手段のひとつになり得るんだと。
魚に関しては、遺伝子編集魚を食べていかないと、やはり需要に見合わなくなるという。
ちなみに遺伝子組み換え食品が現状嫌われているけど、結局のところ、自然ではないけど、それに害があるのかどうか、わからないというのが現状らしい。
培養肉か・・・。
だったらテンペとかの代用肉のほうが食欲がわくかな、私の場合。
ま、食生活なんていうのは、子どものころからの刷り込みだったりするから、離乳の頃からこれが食べ物よ!と言われて与えられて食べていればそういうもんだ、というだけなんだろうけど。。
ホリエモン「それでも君はどこへでも行ける」読書メモ [読書メモ]
気持ちを鼓舞してくれる存在として、ホリエモンはかなり有難いのだが、彼はYOUTUBEで無料で
発信もしてるし、本については、焼き直しも多かったりするので、そんなにマストで読んでいるわけではない
のだが、このタイトルにはジーンとしてしまった。
今私が暗澹たる気持ちで日々を過ごしているのは、何もかも冴えないな~っていう感じだからなのだが、
結局のところ、どこへも行けないという閉塞感。
特に私の場合、ここ7、8年の間、どこへでも行ける、ということが私のアイデンティティになっていたのではないか。
それがコロナでアイデンティティを喪ったのだ。
私の強み、優位性は失われ、地に足をつけていない、日本の地に何かを確固として築いてきていない足元の弱さだけが際立った。
ということに、このタイトルが気づかせてくれた。
ブックオフでこのタイトルを見た瞬間に、私は救われた思いがしたからだ。
まさに私が言ってもらいたい一言だったのだろう。
さすがホリエモン、ありがとう。
以下は、本の内容についての私のメモである。
本自体は、ホリエモンが海外色んな所を訪ねて行った、その感想がさらさらっと書かれている感じなので、まあ全編熟読するような内容ではないのだが、エストニアとか自分が全然知見がない国の情報は、全然知らなかったのでへえって感じで興味を持った。
エストニアがデジタルノマドビザを発行した暁には、東欧もいいなと思う。
ーー
それでも君はどこへでも行ける。
閉じた扉は必ず開かれる。
一度入ってきた、魅力あふれる情報や景色を人は決して手放さない。
外を知っている人間がいつまでも閉じこもっているわけがない。
人間は進化の生き物だ。
過去に戻れないし、過去に正解はない。
エストニア
タリン
東欧のIT大国
デジタルノマドビザを計画中ー外国人が一定期間エストニアで働ける。
遊びを仕事にする。
根拠のない杞憂は考えすぎとして、一蹴して前に進む。
だがそれでも心が折れてはならないのだ。
負けたら損しかない。
負けとは、自分のやりたいこと、楽しい場と時間を、社会的抑圧に負けて自ら手放すこと。
成長の機会、新たなアイディア、出会いなどポジティブなものを手放すことになりかねない。
日本の強み
日本食、日本酒、エンタメ、観光産業、割安感。
アジアの富裕国をスピーディに往復できるメリットもある。