愛を読むひと 一生を懸けた不純物だらけの愛。 Huluで見る傑作 [映画メモ]
Huluで「愛を読む人」を見る。現代はThe Reader。2008年のアメリカ・ドイツ合作映画。ハンナ役のケイト・ウィンスレットはアカデミー賞主演女優賞を受賞。
本の朗読で結ばれた21歳差の熟女と少年の心・・・という純愛物を想像していたんですが、中身は全然違いました。
この安易なカタルシスを与えないリアリティ。
安直な映画では一切ない。
ここまで人々を善も悪でもなくリアルに描く映画はあまりなく、素晴らしいと思った。
だが中立過ぎる。
もう少しどちらかの見解に寄らせてくれてもいいのにな、と感じる。
そういう意味で原作の「朗読者」を読んでみたくなった。
原作を読めば、また映画の解釈も変わるかもしれない。
考えさせられる、と一言で安直に済まさないでおくと。
思った事は。
ある角度から見れば一生をかけた純粋な愛も、ある角度から見れば不純で歪んでいるということは、往々にして世の中にあるということだ。
そしてそういった哀しさを、我々は「言い訳」でオブラートに包んで直視しないようにすることで心の中に収まりよく収めて、なんとか上手に生きているのだろう。
しかし犯罪者として刑務所に収監されるような人は、そういう「ちょっとした言い訳」の手が届かないような生育環境だったりすることが往々にしてある。
実際、刑務所に収監されている人の多くは、大悪人とかではなく、大半が社会の弱者、ようするに守ってくれるものがない上に知能指数が高くなく要領もよくない人々だと言う。
だから私は多分、刑務所にこまい犯罪で収監されている人たちの人生をよく知ったら、生活保護を受けるやり方を知らなかったり、知っていても拒否して餓死する人のことを知った時と同じくらい、哀しい気持ちになると思う。
全然違うじゃん!!と思うかもしれない。
だが私の中では、すさんだ環境で生き延びるために犯罪に手を染める子どもも、自分の境遇を受け入れられなくて壮大な虚言を繰り返す大嘘つきの少女も、貧しい中だからこそ潔癖であること、つまり人の手は借りない、言い訳しないなどを自らのプライドにして生きている人も、 貧しくて教育が受けられず荒んだ環境で生きてきたからこそ、実際的なことが価値観の全てな人も、同じ哀しさが根底にあると思う。
そういう哀しさを感じた。
ハンナ(熟女)という人間に関しては、まさしくそうだ。
彼女は文盲であることを他人に知られたくない。文盲が恥ずかしいかどうかというのは時代や環境にもの凄く左右されるだろうが、どんなにそれを屈辱に感じるような環境だとしても、裁判で300人の殺人の主犯格と決めつけられることと引き換えにするような恥ではないはずだ。
だが、彼女は収監されるほうを選ぶ。そこまで「文盲は恥ずかしい」と思い込んでいることこそに、彼女の生育環境が暗示させられ、哀しくなる。
ナチスの看守になったのも、そこで看守として責任感を持って真面目に働いたのも、結局は教育がないため職業の自由もなく、目の前の与えられた仕事を一生懸命にするという方法が、彼女が生きていくために知っている唯一の方法だったからだろう。
そして15歳の少年と実に安易に関係を持ったのも、ある種の教育程度の低さによるものだと思う。
そして次にマイケル(少年)。彼はハンナに間違いなく夢中だったし、その後も忘れられない女性であったにも関わらず、大学生となりナチス戦犯として裁かれている彼女と再会してから葛藤し続ける。
彼はもう子どもではない。だから彼女が彼にしたことの意味もわかる。彼にとって唯一無二の純愛物語も、客観的には熟女に若い性欲と純情を弄ばれたあまり趣味のよくない一夏の情事。
そして無学で下っ端の看守だったとはいえ、彼女はナチスの殺戮に加担していたに相違は無い。
彼は彼女が文盲だと証言し、彼女の冤罪をはらす事ができる唯一の人間であることを自覚しており、尊敬する教授にも、それを証言するのは義務だと諭される。
それでも「彼女と話すことなんて出来ない」と言って、結局逃避する。
それはなぜか?
彼女が冤罪を被ってまで秘密にしたい文盲であるという事実を他人が暴くことに迷いを感じただけではないだろう。
それだけなら、留置所に会いに行って他人に知られずに諭すことだって出来たはずだ。
あの「無理だ!」という感情的な対応からすると、本当は彼女が彼にした仕打ちが受け入れられていなかっただけではないだろうか。
つまり、ちょっとした復讐。
でも後年、彼はハンナに録音テープを送り出す。あれは彼の贖罪でも同情でもあるが、やはり純愛の行為でもあると思うのだ。
でもハンナからの手紙に決して返事を書かない。そこには、まだわだかまりがある。彼はまだ許してはいないのだ。
彼女が自分にしたことも、ユダヤ人たちにしたことも。自分がそんな罪深い人間をいまだに愛していることも。
そしてハンナが自殺し、初めて彼は自分とハンナの間にあった不完全な愛を受け入れたのだ。
ハンナは刑務所の中での晩年、マイケルの愛を頼みに生きていた。だからマイケルからの愛をもう受け取れないことを悟り自殺したのだと思う。
哀しいことだがハンナが自殺したことにより、ハンナがハンナなりに自分を愛していたことに初めて確信を持てたのではないだろうか。
ハンナは欠落のある不完全な大人である一方、病気の少年を家まで送り届ける親切さや弱音を吐かず言い訳もせず寡黙に働く全うさ、物語を愛するピュアさもあった。
そして犯した罪に罪悪感を感じているんだかいないんだか傍目からは解らないように見えたハンナだったが、犠牲者の生き残りにお金を残していたことで、初めてマイケルはハンナにも後悔の心があることが解ったのかもしれない。
そして不完全な人を愛してしまった自分を受け入れ、その二次災害を防ぐために、娘に対してオープンになる決意が固まったのだと思う。
自分を隠すことに手一杯で、愛する人を拒絶してしまうというハンナと同じ轍を踏んでしまってはいけない、そのことにマイケルは気付いたのだろう。
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