傷だらけの天使(TVドラマのね) [映画メモ]
色んな愛は過去になったけど。
これに関する愛は、現役だ。
思い出しただけで、ぐぐっと腹が掴まれてせつなくなって、吐きたくなって食欲がなくなっちゃうくらい、好きだ。
そんなに好きなのに、なんで近づく努力をしないのだろう。
そうだな。
とても好きなものこそ、距離を置こうとする私がいるよ。
DVD化されていないので、ビデオデッキを買ってまでビデオ借りてきてみていたものだが、
先日、奇跡のようにテレビ、しかも地上波で再放送していたときは、そのテレビ画面を
スマホで動画撮影したものだ。
そして、そのシーンを、何度指をくわえて、愛しい思いで再生したことだろう。
そこで気付いたのだ。
あれ?サントラ出てたら、借りてくればいいんじゃないの??と。
そういう偉大な発想ができた俺って、天才?って思ったけど、今まで考えつかなかったほうがまぬけなんだろうが。
すべてのプロジェクトが一段落ついている今だから、そんな発想に耳を傾ける余裕が生まれたのよね。
それはとても印象的だ。
目標に向かって忙しくしていることは、いいことだし楽しいことでもあるけど、時に何かを見えなくさせるのだ。
さて、今サントラを聞いていて、大満足だ。
音楽は、小説や映画と違って、完全に所有出来るから好きだ。
それは架空の他人の物語ではなく、完全に私の地肉として私の生活に一体化させ、私のメロディにしてしまうことができる。
そうか、だから私は好きでも近づこうとしなかったのだ。
音楽なら所有できるが、物語はけっして自分のものにできない。
自分がその物語の中に入り込めるわけでもないし、どんなに愛してもそれは他人のものだ。
そう、音楽であればどれだけでも近づける。毎晩聞きながら寝て、毎夕走りながら聞く事だってできる。
大好きな人と一緒に歌ったり踊ったりジャムったりできる。
そういえば、私が唯一、ピアノで弾けるようになりたかった曲は坂本龍一の戦場のメリークリスマスだったっけ。
でも今、二曲目ができたよ。
私は「天使の情景」by大野克夫を、楽器で弾けるようになりたいよ。
そして「天使の情M2」も「天使の挫折」も、かなりやばいよ。
スクリーンの中の完成された世界。
現実じゃないのに、ないけど、役者とか監督とかの生身の人間が感じたり生きたりしたエッセンスが幾分かはそこにリアルに生きているのだろう。
愛おしさが凝縮されてフィルムに収められている。
結局私はこういうのが好きなのだ。
ストーリーで魅せられるより、愛おしい空気が充満してパッケージされていることに魅せられる。
ようするに、大好きだった人の写っているビデオだったり、もの凄く楽しかった旅行の写真だったりと同じだ。
ドラマだと、回を追うごとに、役者同士の掛け合いが化学反応を起こし、役が勝手に動き出すようなものがあるから、やはり本物の空気がそこに生まれるのだと思う。
だからストーリーがどんなに作り物でも、魅力的な空気感が生まれるのだろう。
そしてどこがそんな好きなのか?
ようは子猫物語みたいなもんだろう。
雨に濡れた子犬みたいな男が好きだと西原理恵子が言っていて、私は理解できないからダメンズ好きじゃないなとホッとしたけど、いやいや。
結局、私がこの作品を好きなのは、雨に濡れた子犬みたいなんがじゃれあいながら、理不尽な仕打ちに合いのたうちまわったり、恋をして破れたりしながら、懸命に生きている姿を美しく愛おしく思うからだ。
まあでもそういう男が好きで守りたい、というより、そういう男の姿に自分を重ねて見ているほうが強いのだろうけど。
でもいつか母親になったら、こういう子らを可愛いと思うのだと思う。ていうか既に思ってるか。
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